Vol.60 オペラ鑑賞記


2004年3月2日〜16日の行程でNYに行ってきました。NYは3度目。今回の旅行目的は観劇。ミュージカルもたくさん観ましたが、オペラも5作品みました。その感想を書かせていただきます。

メトロポリタンオペラ歌劇場

スペードの女王 3月3日 19:30〜23:15
 ドミンゴが歌うということでかなり期待して、今回の旅の最大のイベントと考えていた演目でした。期待が大きすぎたせいもあるのか、感想は少々「?」でした。その最大の原因はやはりドミンゴ。ドミンゴの歌い上げることのない役作りにがっかりしたのです。NYタイムズ紙によると、ドミンゴはゲルマンという役を最初から精神的混乱の兆候のあった人物として演じており、その演技力こそがドミンゴのゲルマンが評価される理由であるということである。確かに、3幕1場の最後、カードの秘密を知ったときの笑い声はぞっとするぐらいのトーンの声であり、人物の描き方としてはとても面白く、最初から最後までゲルマンという人物像が一貫して描かれていたという点は同意します。しかし、人物像を深い解釈で演ずることのみでは芝居です。オペラは単なる芝居ではなく、歌を楽しむものであるはず。そのためには、ゲルマンらしい歌い方というだけでは不十分なのではないでしょうか。美しく歌い上げること、特にドミンゴであればその艶深い声、張りのある伸びる声が楽しめるような役作りをするべきなのではないかと思います。ゲルマンという人物は魅力であったと思いますが、ドミンゴが演じるゲルマンと考えたときにその歌い方は全然満足いきませんでした。声を強く張ることが最後までほとんどなかったからです。ドミンゴの歌が聴けると思って、また、ドミンゴの二枚目ぶりが見れると思って期待していた私には全然期待はずれでした。私は、私の保有するDVDトスカで朗々と歌い上げるドミンゴを生で見、聞きたいと思っていたのです。日本で見ていったビデオのゲルマンは声を強くはって歌っており、その分、ゲルマンの歌が印象的だったため、一層がっかりしました。
 正直言って、チャイコフスキーのスペードの女王という作品は、音楽的にも、構成的にも楽しくない。音楽的に印象的な旋律が少なく、群舞も出てきてただ歌っているだけ(特に一幕はひどいと思う)、バレエのシーンもなくてもよいように感じる。そういう作品においてドミンゴがつまらないとみるところがない。そもそも見た目にも、ドミンゴは、「恋愛に苦悩し、精神を病んでいく」という人物を演じるには歳をとっておられる。これは他の演者との比較で感じることである。ゲルマンが恋におちるリーザ役者やゲルマンの友人を演じる役者がドミンゴとの相対比較では若いため、ドミンゴに対し、「おいおい、その歳で恋愛しか人生の苦悩がないのはまずいのではないか」と思ってしまうのである。また、今回のキャストではリーザも無理があった。申し訳ないが、ドミンゴが人生を捧げるだろうと納得するほどの美しさや華がないのである。歌はまあまあであった。ただし、彼女のリーザを聞いて、泣くということは(少なくとも私にとっては)無理である。演出上、3幕2場でリーザが死んだのかどうか不明なのだが、もしかすると、リーザはゲルマンに絶望して走り去り、傷心のまま生きていくという設定なのかもしれない。また、ドミンゴは登場のシーンから目線が定まらない、狂気が始まっているという演技をしているため、「リーザはこのゲルマンのどこに惹かれたのか」も今一説得力がない。よって一層共感できない。重ねて悪いのは、公爵夫人を演じていた役者さんが×だったこと。老人を演じるのだから声量がないこと、声を張らないことは良いのだが、全く艶の無い声でぼそぼそと歌われたので、眠くなるばかりであった。2幕目2場の公爵夫人の最大の見せ場の独唱シーンでも拍手がほとんどなかったのは仕方がないだろう。このように今回のスペードの女王は全く期待はずれであった。残念ながら何度か居眠りをしながら見てしまった。もう少しスピードアップして演奏するなり、バレエのシーンを工夫するなり。カーテンコールでは最後にドミンゴが登場したときに、盛大にブラボーの声がかかっていたし、私もそこはやはりドミンゴさまをお迎えするのだからと強くスタンディングで拍手をしたわけだが、観客は本当にあの熱烈な拍手に見合うほどドミンゴのゲルマンを評価したのだろうか。疑問である。ちなみにこの日のチケットはソールドアウト。やはりドミンゴ強しである。

アルジェのイタリア女 3月8日 20:00〜23:00
 この日は全然人が入っていなかった。半分ぐらいの入りだったように推察する。オーケストラ席でもジーパン、スニーカーの人が目立ち、明らかに雰囲気が3日とは違った。また学生割引のチケットも沢山売り出したらしく、私のとなりは学生の一郡であった。彼らは明らかにオーケストラ席通常150ドルを25ドルで観ている人たちである。私はオーケストラバランス110ドルなので、私の横のよりセンター寄りの場所に陣取っていたわけである。学生さんをたくさん劇場に格安の料金で入れることには疑問がある。なぜなら彼らは映画を観る感覚で来ているからである。特に私の隣の人たちは高校生ぐらいで、特有の落ち着きのなさはあきらかに劇場の雰囲気を阻害していた。学生を入れるにしてもまとめて座らせるのはやめたほうがいいように感じる。しかし、今回の作品はそれほど人が入っていなかったのである。観始めてその理由はすぐにわかった。とにかく最悪の上演であった。これを初のオペラ作品として観た人は「何とオペラとはつまらないものだろう」という感想を持つことだろう。
私は、ロッシーニーのアルジェのイタリア女は元来大好きである。この作品はオペラブッセとしては傑作であり、ロッシーニーは天才だと思う。そのようなすばらしい作品をこのようにつまらなく演じるというのも難しいのではないだろうか。
 まず、この作品の大きなすばらしさの一つである音楽的軽快さが全くない。もっとテンポよく演奏してくれないとこの作品の味が出てこない。もともとこの作品は指揮がジェームス・レバインだということが観にいこうと思う大きな誘因であった。確かにアルジェのイタリア女の他の日程での演奏はジェームス・レバインだったのだが、この日だけは別の人が指揮をとっていた。「金返せ〜」って感じですよ。
 また、演者もよくない。主役イザベラを演じたOlga Borodina(メゾソプラノ)はまあまあであった。ただし、ムスタファを一目ぼれさせ、その後ムスタファを手玉にとったり、Taddeoからも溺愛されるほどの魅力には欠けていた(しかしここまで求めるのはかわいそうというもの)。だめなのはリンドローを演じたテノールBarry Banks。まず、見た目で拒否である。背が低く、顔もお世辞にも美しくはない彼のことを、主役のメゾソプラノが追いかけてきたというのは「ありえない」の一言である。二人が愛を歌いあうシーンはお笑い以外の何者でもない。リンドローは格好良くなければだめである。そしてこのBarry Banks、喜劇を演じるのも全然だめである。彼がやっても段取りどおりにやっているだけだと思うだけで、何も面白くない。ムスタファを演じたFerruccio Furlanettoはまあまあ。その妻役も可も無く不可も無くという感じ。妻の召使役が妙にうまかったのが印象的。彼女がメインパートを演じた方がいいのではないかというぐらい、歌うパートはすくなかったが、声を発するとひときわすばらしかった。
 もう一つだめなのが演出。2幕目にイザベラがムスタファのコーヒーの誘いを受けて、ムスタファをからかうシーンがあるが、このシーンが何のためのシーンか全くわからない。単に歌っているだけなのである。ムスタファの妻に「男を手なずける方法を見せてあげるので、見ていなさい」と言ってから歌い始めるのに、単に歌っているだけなので、何のことだかわからない。私が傑作だと思うビデオでは、イザベラは大胆な着替えをしながらこの歌を歌うのでこの場面に意味があったのだが、今回の演出ではさっぱりだめである。駄目押しでだめだったのが、舞台の色である。舞台装置が全体的に白、衣装も全般的に白で、とにかく単調なのである。なぜ、暑いアルジェリアが舞台なのに、舞台装置が白なの?その感覚が全くわからない。あ〜あ、この舞台は何だったのだろう。

ドン・ジョバンニ 3月9日 20:00〜23:30
 この日のチケットもソールドアウトであった。しかし、先に見た2作品がどちらもがっかりする出来だったため、あまり期待をするのはやめようと思っていた。しかし、この日の舞台は私のそれまでの悪い印象を打ち消すほどすばらしいものだった。演者もみなレベルが高く、すばらしい声の持ち主かつ見た目も役柄とよくあっていて違和感が少なく、舞台装置もすばらしく、演出もすばらしかった。また指揮者はジェームス・レバイン。この日の上演は本当に「NYまで来て観てよかった。オペラはすばらしい。」と思うできばえだった。初めて心から満足した。この作品に出会えていなければ、オペラは二度と見なかったようにも思う。ああ本当によかった。先に言って置くと、この日以降に観たオペラはすべてすばらしいできばえだったので、私のオペラ観劇の後半戦は非常に充実したものになった。
 このドン・ジョバンニには様々な見所があったが、やはり一番の見所は新演出であったことだろう。私が「おおっ」と思った演出は、まず、2幕目のドンナ・エルビーナの館の前で、ドンジョバンニと召使レポレロが衣を交換するシーン、ドンナ・エルビーナの姿を見つけて、この演出では再び二人は衣装を元に戻してからドンジョバンニがドンナ・エルビーナに向かって愛の歌を直接歌っていた。その後、ドンナ・エルビーナが下に下りてくるまでの間に再度衣装を交換するという演出である。これは、今回のドンジョバンニとレポレロの身長があまりに違いすぎたため、いくら暗闇だからといってドンナ・エルビーナが間違うはずがないだろうということなのか、それとも、レポレロの口パクに気づかないというこれまでの演出ではドンナ・エルビーナがあまりにも間抜けだということで変更されたのか、真相はよくわからない。いずれにせよ、この新演出でも音楽とはよくあっていたので問題なし。もう一つは、最後、晩餐の場面に墓地の騎士が登場するシーン、今回は一幕目で死んだドンナ・アンナの父がそのままの格好で、鏡の中に現れるという演出だった。確かにその方が、騎士がだれだったのかがわかりやすいので初めて作品を見る人に対して親切だと思った。また、この鏡の中の騎士は、1幕目の最後にも登場しており、最終場の伏線となっているのも細かい演出でよいと思った。また、1幕目1場でドンジョバンニはドンナ・アンナにキスをするのだが、1幕目2場でドンナ・アンナが父親殺しはドンジョバンニによるものと気付くのは再びドンジョバンニにキスされそうになったためという演出のようである。でも、再びはキスしていなかったので、このシーンはちょっとわかりにくい。2度目もきちんとキスシーンをもうければもっと、唇の感触でドンジョバンニが犯人だとわかったということがストレートに出てよかったのではなかったのだろうか。
 舞台セットもすばらしかった。ドンジョバンニでは、ジョバンニの邸宅のシーンと2幕のドンナ・アンナたちの隠れ家をのぞき全て基本的に屋外で繰り広げられるストーリーであるが、その場所の移動を2枚の板の組み合わせの角度を変えることで表現していた。非常にスマートで、かつ、舞台展開のスピードアップにつながる、シンプルながらも印象的な舞台セットであった。ドンジョバンニといえばやはり女性陣がたくさん登場する作品であるが、女性陣の衣装もよかった。ドンナ・アンナは赤系統、ドンナ・エルビーナは青系統、Zerlinaは黄色系統であったのは、信号機の組み合わせを思わせるものでもあった。
 演者では、特に女性人がすばらしかった。ドンナ・アンナを演じたAnja Harterosは見目も良く(スタイルもよく、顔も美しい)、顔がきつめなところがとくにドンナ・アンナにあっていた。美しくかつ強い声が出る方で、聞き応えがあった。彼女はすばらしかった。ドンナ・エルビーナを演じたChristine Goerkeは体が大きいが、顔は美しく、ドンナ・エルビーナならばOKだった。この方の声もまたすばらしく美しかった。もう一人のソプラノZerlinaを演じたHei-Kyung Hongは韓国人であり、舞台設定とはミスマッチであるが、美しい声の持ち主なので合格。ただ彼女の場合難点を言うと、非常に細身の体型であるため、夫に対し、自分の体を「とっておきの薬」と暗喩しながら歌うことで、夫を誘惑するシーンに説得力が無かったことだろう。

リゴレット 3月12日 20:00
 この日の公演のチケットは売れ残っていたため、期待することはやめて劇場に向かった。しかし、嬉しい誤算で、この日の公演は非常にすばらしいものであった。今回メトで観た4作品のうち、私の満足度が最も高かったのがこの日の公演であった(しかし、これは私がモーツアルトよりもベルディが好きだというのも大きく寄与している)。私がベルディが好きなのは、あのドラマチックな音楽である。「これぞ舞台」という劇的なフレーズは、人によってはあざといと感じるだろうが、私は、メトのような大きな器にある音楽としてはあのぐらいの大仰さが必要だと思う。ベルディは前奏曲が始まるだけで、「ああ私はベルディが好きだ」と思ってしまう。その中でもとくにリゴレットは傑作だと思う。退屈する部分がほとんどない。音楽の連なり、ドラマの連なりが重なり、早すぎるぐらいの展開である。本当はもっとゆっくりと間をとって音楽と歌とドラマを味わいたいと思うぐらい、ドラマチックである。
 この日の出演者は非常にレベルが高かった。しかし一番の私のお気に入りはリゴレットの娘ギルダを演じたRuth Ann Swensonである。彼女のような声を鈴のような声というのだろう。高音の処理が、素人の私が聞いても「これは高テクニックに違いない」と思う歌い方であった。彼女はとにかくすばらしかった。正直見た目は穢れを知らぬ純粋無垢な美しい籠入り娘というには無理がある。しかし、あの声を聞いたらそんな容姿はどうでもよくなる。やはりオペラは声を楽しむものである。圧倒的な声の持ち主は、役柄と容姿の少々のミスマッチなどどうでも良いと思わせるものなのだということが実感できた。1幕2場の彼女のアリアはただただ感動であった。
 リゴレットを演じたFranz Grundheberも非常によかった。これまで映像で観たリゴレットは足をひきずっていたり、道化の格好をしていたりとリゴレットの職業や状況をよく示す演出としていたが、今回は一応良く観るとせむし気味なことがわかるが、普通に歩いているし、それほど背中が丸いわけでもなかった。そういう点では、ストーリーをよく知らない人には、リゴレットの職業が何であり、なぜその職業につかなければならないのかわかりにくかったのではないだろうか。
 この日の舞台装置もよかった。お城のシーンはまあそれほど驚かなかったが、リゴレットの家のシーンは石造りの家並み、あまり手入れの行き届いてない感じのリゴレットの庭の様子など、「おお〜」と思う舞台装置であった。3幕目のスカルピアの飲み屋のシーンは、飲み屋は舞台の1/4ぐらいで、1/3はボートとボート置き場、2/3は水という大胆な(OR 贅沢な)舞台で印象に残った。このように4作品観てくるとアルジェのイタリア女の舞台装置がいかに貧祖でつまらないものだったかがよくわかる。
 全般的な感想:メトに来ている人たちはかなり観劇マナーに問題がある。これはどうしたらよいのだろうか。まず咳をする人が多いのには閉口する。また連れ同士で感想を幕の間でも「she's great」とかみたいに平気で言い合っている。これは音楽を楽しみに来ている人のマナーとしては最悪である。なぜメトまで来てこのようにマナーの悪い人たちが多いのか非常に不思議であった。

フィガロの結婚 3月14日 13:30〜17:30
この日の公演はニューヨークシティオペラでの開催。チケットも残っていたし、期待できなそうだなと思っていたのですが、これまた嬉しい誤算で、非常にすばらしいカンパニーによる公演だった。出演者はみなとても上手だった。この日フィガロを演じたKyle Ketelsenは今回がシティオペラデビューなのだが、とてもすばらしいバリトン。すばらしい声の持ち主で、堂々とフィガロを演じていた。これから活躍する方だろう。そして、スザンナを演じたChristine Brandes。彼女もすごい。声は美しく、声量もあり、容姿もOK。そしてスザンナに求められるオキャンで頭がよく、気が強いという役どころをうまく表現していた。彼女は他の劇場で主役を演じている方なので、これからメトあたりでも主人公ソプラノとして登場することができる器だと思う。公爵夫人を演じたPamela Armstrongもとてもよい。などなど全体的に及第点以上の歌い手、演技派が集まったカンパニーで、そしてフィガロとスザンナがすばらしいというとてもバランスのとれたカンパニーで、大満足であった。舞台装置も衣装も華美すぎず地味すぎず、ニューヨークシティオペラの入れ物にとてもよくあっていた。どうしてもメトに比べて格落ちと思ってしまうニューヨークシティオペラであるが、今回みた2作品はいずれもとてもクオリティの高いものであり(ある点ではメト以上である)、侮ってはいけない。今後とも要注意の歌劇場である。

フィガロの結婚自体は、すばらしくよく出来た作品であり、聞いていると楽しくなる音、複雑に入り乱れる人間関係をあれだけのスピードでばたばたとストーリー展開しながらそれでもみているとシンプルに理解できるというのはすごい作品だと思う。

しかし、この日来ている人たちのマナーは一層悪かった。フィガロの結婚のあらすじを知らない人が結構多いようで、大声で笑う人が私のすぐ後ろにいた。笑い声にも品を求めたいと思うのだが、求めすぎだろうか。咳、おしゃべりはやはりこちらの劇場でも多く、さらにひどいのは私のお隣さんは鼻水をずっとすすっていたことである。NY人のマナーはどうにかしてほしいぞお。

2004.04.06

  



Another New York Vol.60
オペラ鑑賞記
Text michi
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