佐野元春の「マンハッタン・ブリッジにたたずんで」という歌のタイトルにちょっとしびれていた僕は、ある日マンハッタン・ブリッジを見に行った。チャイナ・タウンからブルックリンに続く橋の歩道は閉鎖されていて、歩いて渡ることは出来なかった。そこで僕はイエローキャブをつかまえ、マンハタン・ブリッジを西から東へ渡った。帰りはタクシーを降りて、ブルックリン・ブリッジのボートウォークをマンハッタンに向かって歩いた。天気のよい月曜日の午後だった。インライン・スケートをはいた若者やジョギングをするおじさんが、のんびり歩く僕の横を追い抜いていった。多くの観光客が摩天楼にみとれていた。橋の中央、ワーイヤー・ケーブルを支える塔の上では、星条旗が青空の下気持ちよさそうにはためいていた。

1842 ハイ・ブリッジ
 136m
もとは水道管を渡すためにつくられた。現在は老朽化と治安の悪化で閉鎖され、立ち入ることはできない。
1883 ブルックリン・ブリッジ
  486m
 建築技術の大胆さと力強い造形は、ニューヨークの近代の幕開けを象徴している。この橋によって初めてマンハッタンはほかの陸地と結ばれた。現在、橋の上階は歩行者用デッキとなっていて、誰でも歩くことが出きる。
 つり橋の建設・着工に力を尽くしたローブリングは、現場での事故が原因の破傷風で着工のわずか一週間後に死亡する。その魂を引き継いだのが、息子のワシントン・ローブリングであった。しかし、彼もまた難工事の連続の中で潜水病に体を侵され、車椅子の生活を余儀なくされる。そこで工事の指揮をとったのが妻のエミリーであった。親子二代と彼女の超人的な働きで、ついに橋は14年の歳月と1、500万ドルの費用をかけ完成した。しかし、開通式に大幅な予算超過で納税者から訴訟を起こされていたワシントン・ローブリングの姿はなかった。
1888 ワシントン・ブリッジ
 136m
1895 マコムスダム・ブリッジ
 126m
1898 サード・アベニュー・ブリッジ
 91m
1900 スパイテン・ダイビル・ブリッジ
 89m
1901 ウィリス・アベニュー・ブリッジ
 93m
1903 ウイリアムズバーグ・ブリッジ
  488m
 その頃はまだひらけていなかった対岸のブルックリンを初めて調査した、ジョナサン・ウィリアムス大佐にちなんでこの橋の名前がつけられた。
1905 145th ストリート・ブリッジ
 91m
1908 ユニバーシティー・ハイツ・ブリッジ
 81m
1909 マンハッタン・ブリッジ
  448m
 レオン・モイシフ設計。当初はニッケル棒鋼で橋をつる斬新な設計だったが、最終的にはケーブルで橋をつる昔ながらの設計になった。このうらには、政治家と結託したケーブルを製造・販売するローブリング・ワイヤー社の陰謀があったという。
1909 クイーンズボロー・ブリッジ
  360m
 グスタフ・リンデンソール設計。映画「華麗なるギャッピー」で主人公のギャッピーがロングアイランドの豪邸から、マンハッタンに現れるのがこのクイーンズボロー・ブリッジ。

クイーンズボロー・ブリッジから眺めたニューヨークは,何度見ても、初めて見る街という印象を与える。 世界中のあらゆる神秘、あらゆる美がこの中にあるという幻想を、いつも新しく見る者の胸にわきおこすのだ。    偉大なるギャッピー/スコット・フィッツジェラルド
1909 マディソン・アベニュー・ブリッジ
 91m
1917 ヘルゲート・ブリッジ
  309m
1931 ジョージ・ワシントン・ブリッジ
     1067m
 O.H.アムマン設計、キャス・ギルバート建築。マンハッタン178丁目とニュージャージーを結ぶ。当初はミッドタウン近辺に建設する案も検討されたが、橋の下に充分な空間を確保するために、マンハッタンのかなり北の178丁目に架けられた。’37年にゴールデン・ゲート・ブリッジが架けられるまで世界最長の橋だった。現在は国内4番目の長さ。1962年から上下2段・14車線になり、世界有数の交通量の多い橋となっている。
1936 トライボロー・ブリッジ
  421m
マンハッタン、ブロンクス、クイーンズの3つの区を結んでいるところから、トライ(3つの)ボロー(区)の名前がついた。
1936 ヘンリー・ハドソン・ブリッジ
 244m
1951 フット・ブリッジ
 95m
1955 ルーズベルト・アイランド・ブリッジ
 127m
1956 パーク・アベニュー・ブリッジ
 116m
1962 ブロードウェイ・ブリッジ
 93m
1963 アレキサンダー・ハミルトン・ブリッジ
 154m

LEGEND/ =50m  =25m

SHARON REIERの「The Bridges NEW YORK」を参考に書かせていただきました 年号/開通年  長さ/主径間