Vol.07 ロマノフ王朝の秘宝


テレビでイングリッド・バーグマン主演の古い映画を観た幼い日。ユル・ブリンナーのスキンヘッズが子供心に恐かった。綺麗な人が出てるのが追想、歌がうまい人が出てるのが追憶。子供の頃はこうやってタイトルを覚えるしかなかった。そして大人になった今でもこの映画がオンエアされる度に必ずチェックしている。

 イースター・エッグ。ロシア最後の皇帝・ニコライ2世が最も愛した至高の芸術品。エッグアートの中でも特別にインペリアル・エッグとも呼ばれる。まさかこれをアメリカの経済紙で有名なフォーブズ社が所有しているとは思わなかった。最高級の物は世界でも許された者だけが見れるという。そんな大切な物だもの。まさか生涯お目にかかることはないだろう、と思ったらそのまさかなのだ。これだけNYが大好きでもその存在を知ったのはつい1年前の事。場所は地下鉄Union Sq.近くのフォーブズ・マガジン・ギャラリーズ。マルコム・フォーブス氏の御自慢のプライベート・コレクションを楽しめる。

 ここはあくまでもフォーブズ社の私的ギャラリーゆえ、他の美術館や博物館に比べてそれ自体も小規模だし、もちろんカフェもショップも、疲れたからと言って腰を降ろすベンチさえ無い。狭い通路を一巡してしまえば30分とかからないだろう。しかし大切なのは量より質。こんなすごい物を見逃す手は無い。歴代大統領書簡はもちろん、イースターエッグに至っては一つ一つのガラスケースの前で全身が石と化した私がいる(別に蛇女ゴーゴンを見たわけではない)。でるのは溜息ばかり。念力でガラスケースにひびが入りそう。

 いよいよ時を超えてロマノフ家の秘宝へ。緊張が走る。ロシア革命という歴史を担ったこんな由緒正しい芸術品を無料で見せてくれるなんて申し訳ない。なるほどこれがNY、芸術の裾野はどこまでも広い。コーナーの入口には現在までのヨーロッパの皇族の系図が掲示してある。人類皆兄弟とはよく言ったものだ。イースター・エッグはペーター・カール・ファベルジュがロシア皇帝の命を受けて作成したエッグアート。イースターに卵に絵を描くように、卵形のオブジェをねじ巻き式の時計仕掛けにしてみたり、卵の外側に皇帝一家の肖像を描いたり、オルゴールにしてみたり、卵の中にもさらに細工したりと粋を極めている。中でもインペリアル・エッグは世界に12個しかない言わば世界遺産だ。皇帝の財力を反映してすべてが金・銀・ダイヤモンド・水晶・真珠などの宝石で飾られている。同じコーナーにはこの他にも皇帝一家が愛した小さな日用品、多くはさりげない装飾品やテーブルウェアが展示してある。

 ファベルジュの工房はフランス系の父グスタフのジュエリー・ビジネスから始まり、3人のロシア皇帝の庇護を受けた。1885年にアレクサンドル3世がFirst Imperial Eggを手にしてから、サンクトぺテルブルグの工房はやがてモスクワ、オデッサ、ロンドン、キエフにまで広がり、ロシア革命勃発により1918年に工房を閉めるまで計56個のエッグが作られた。ファベルジュは1920年9月にスイスのローザンヌで没する。

 ロマノフ王朝最後の皇帝・ニコライ2世の末娘アナスタシア。映画に出てきたあのお姫様は最後はどうなったのだろうとずっと思っていた。実話を元にした映画だと知ったのはあれからだいぶ経ってからだ。1920年にベルリンの運河に身を投じた若い女性が助け出されアナスタシアと名乗ったその日から、アメリカでマナハン夫人として1984年に亡くなるまで、アナスタシア論争はヨーロッパの王室を巻き込んで長い間世界中を駆け巡った。もとい、亡くなるまでではなく今日に至るまで論争が続いている。皇帝一家は1918年にエカテリンブルグで処刑されたものとし、ロシア国家による公的な葬儀が行なわれたのはついこないだの1998年。マナハン夫人は本当にアナスタシアなのか。彼女の他にもヨーロッパのかの地に逃げおおせた皇女がいたのではないか。いまでもロマノフ家直系の子孫が密かに暮らしているのではないか。皇帝が革命に備えてヨーロッパ各地に密かに運び出した莫大な財産はどうなっているのか。ロシアが皇帝一家の葬儀を行なった事で一つの歴史が完結したと見ていいのか。1998年以降の世界中の血液学者による度重なるDNA鑑定の結果をどう捉えたらいいのか。

 こんな風に私の中にはロシアへの大きな憧れと謎が渦巻いていた。遥か昔に遡ってあの広大な白い大地を統治した歴史上の皇帝や女帝が、そして悠久の歴史が私の記憶を呼び覚ます。中学生の時に偶然ラジオでキャッチしたモスクワ放送がちょうどロシア語講座を始めると知って、アナウンサーのいうとおり日ソ友の会からテキストを取り寄せた。暫くは真面目に勉強したのだが、悲しいかな、今では誰でも知ってるスパシーバ、ダー、二ェットくらいしか覚えていない。

 ただ憧れるだけで行った事も、そしてこれから一念発起しない限り行く機会もないであろうロシア(だってこれだけNYにはまっちゃったんだもん)。初めて追想を観てからイースターエッグを目の当たりにするまで、私の心の中ではロシアへの思いに関してこと何かが欠けていた。ロマノフ家がどうであろうと、私のようなちっぽけな日本人にとって本当はどうてもいいことかもしれない。所詮本の受け売りでしかないのだ。だから何なんだと長いこと自分の中に押し込めてきた。でもこれで初めてパズルが全部うまくはまったような気がする。すぐれた芸術の前に人は言葉なんかいらない。皇帝一家が実際に手を触れ、愛でたその一品一品が今私の目の前にあるのだ。それでいいじゃないか。どんな謎があってもいい。もう充分じゃないか。心の中でわだかまりが静かに溶けていくのがわかった。だってイースターエッグは照明を落したギャラリーの一角で静かに、だけど確かに美しい輝きを放っていたのだから。かすかに聞こえてくる物悲しい調べと共に。

 P.S フォーブズ・マガジン・ギャラリーズにはこの他にも主に以下の展示があります。
・Ships Ahoy!とOn Parade  船や兵隊の精巧なミニチュアコレクション
・The Land of Counterpane  病気のボクちゃんの仕掛けコーナーどういう仕掛けかはネタバレになるので内緒です。
・大発見(でもないけど) 川西航空(1932)と金閣寺(1986)からの感謝状
・Presidential Papers     歴代大統領の書簡
・Miniature Room          壁に埋込式になっている大統領の部屋のミニチュア
2002.06.16




Yes, I feel NY ! Vol.07
by
Scully

Copyright © 2000-2001 H Beams Publishing Inc.
KOBE JAPAN